忍者ブログ

そんな事してる場合?

ただいま現実逃避中…

[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

あやかり武揚さん

アクセス解析からたどり着きました。
「北海道においでよ」というブログさんからの情報です。

小樽に「あやかり武揚(ぶよう)さん」という像があるそうです。
イヤン、可愛いvv

函館では箱館戦争時、税を徴収したりしたため、「ブヨ」と呼ばれて嫌われていた榎本さんですが、明治の北海道開拓使時代、小樽市の発展に貢献したとして、小樽市民からは慕われているようです。

小樽にもし行く事があったら、ぜひとも頭をなでて、榎本さんのような頭の持ち主になってみたいものです。

PR

今日は?

今日はエノの誕生日です。(旧暦だけどね)

それだけ。
だめ、今日も眠いです。

榎本さん本

Enomoto2   現代視点 戦国・幕末の群像「榎本武揚」

 1983年 旺文社 絶版

昨日届いた榎本さん本です。まるまる1冊、榎本さん。
学研や旺文社等の歴史のシリーズ物、ムック本を見る楽しみは写真がたくさん載っている事。

榎本さんの母・琴さんの肖像画、姉・おらくさんや息子の金八らも写っている榎本一族の集合写真、オランダ留学生の沢、赤松、内田さんの写真、福沢諭吉のチョンマゲ写真等々。内田さんは「武揚伝」や「陽が開くとき」を読んで描いたイメージにけっこう近いお顔でした。みなさん、けっこう写真って残してるものなんですね。

「アラミスと呼ばれた女」「風光る20巻」読了。

「エドの舞踏会」

「行きゆきて峠あり」を下巻途中でほったらかしたまま、山田風太郎氏の「エドの舞踏会」を読み始めました。

明治時代、不平等条約改正のための外交政策として建てられた鹿鳴館に集う、政治家、著名人の素顔と、その妻たちを描いています。
出てくる人物は井上馨、伊藤博文、山県有朋、森有礼、大隈重信、西郷従道、そして黒田清隆と錚々たるメンバー。

はい、黒田清隆目当てで読み始めました。榎本さんも出てきます。ホント、仲良しですね、この2人は。黒田は芸者であった瀧子夫人を見初めるのですが、黒田の酒乱は有名で、前の奥さんを酔って斬殺したという疑いがあったため、黒田との結婚を躊躇します。その瀧子さんを榎本さんが説得するんです。黒田のために。しかも瀧子さんを守るために、榎本家の従者までつけてあげるんですね~。
酒を飲まない時は、本当に小心で礼儀正しい黒田。小心ゆえに、ついつい酒に逃げてしまっていたのでしょうか。しかし、西郷従道曰く「酒を飲んでいる時の黒田は天才、飲んでいない時は凡人」。ますます黒田に興味が湧いてきました。

それにしても、榎本さんは「さん」付けなのに、黒田はどうして呼び捨てにしてしまうのでしょうか。なぜか「黒田」は「黒田」なんです。もし、あえて敬称をつけろというなら「黒田どん」が精一杯です。…って私だけ?

またまた榎本さん本

幕末大全 (下巻)
幕末大全 (下巻)
posted with amazlet on 06.05.30
松浦 玲 田中 彰 青山 忠正
学研 (2004/03)
売り上げランキング: 179,967

今日たまたま古本屋さんで見つけた本です。榎本さんの写真といえば、箱館戦争の後、外国人がお土産としてよく買って行ったと言われている、八の字ヒゲのおでこの広い写真が有名ですが、この本には他に5枚のエノ写真が掲載されています。1枚は箱館での荒井さんや松岡さんと一緒に写っている写真。若い時の写真、オランダ留学時代の和装の写真と、洋装の留学生の集合写真。そしてもう1枚は…明治初年代に撮影されたらしいパーマ頭(?)のエノ。しかも袖に飾りのたくさんついた軍服を着て、胸をはだけさせています(^^;
実はこの写真を見るのは2度目。確か同じく学研の「幕末志士199」と言う本にも載っていて、あまりの衝撃に「おぉっ!」っと思った記憶が…。

若い頃のエノはけっこう二枚目さんです。いえ、歳とってからのおヒゲの写真もとてもダンディなのですが。留学時代って27~32歳くらいで、箱館戦争時が33歳。そんなに年数がたってないというのに、ヒゲ生やして髪型変えたら、とたんにオッサンになってます~。
後年エノが宮中に参内した時、女官がエノが二枚目さんなので一目見ようと、わらわらと集まってきたというエピソードがあるとか。

この本、他にも剣道着姿の高杉晋作の写真や、若き日の伊藤俊輔(博文)の「どこ見てンねん?」写真も載っていて、けっこう面白いです。

榎本武揚に関するバトン

井黒弥太郎氏の「榎本武揚」を読んでいるうちに、やはり「榎本武揚未公開書簡集」が欲しいなぁ、と思う今日この頃。古本で安く出てないかしらと検索中、やまざきはじめさんのところの「監察の取調日記」で素敵なバトンを発見。勝手に拝借して来ました。バトンってやるのはじめて。

「榎本武揚に関するバトン」

パソコン又は本棚に入っている『榎本武揚』に関する物は?
パソコン・・・榎本さん(&土方さん)に関する本の紹介のためのブログ、別宅「二兎亭

本棚・・・佐々木譲「武揚伝」、加茂儀一「榎本武揚」、井黒弥太郎「榎本武揚」、童門冬二「小説榎本武揚」、安部公房「榎本武揚」、満坂太郎「榎本武揚」、東秀紀「陽が開くとき」、子母澤寛「行きゆきて峠あり」、秋岡伸彦「ドキュメント榎本武揚」、他いろいろ。

今、妄想している『榎本武揚』に関する事は?
黒田清隆との関係・・・いえいえ、友情。かつての敵同士だった二人ですが、箱館戦争降伏後の二人は黒田あっての榎本、榎本あっての黒田。(←井黒氏の影響、大)子供同士を結婚させてますし、黒田の葬儀委員長を榎本が務めています。それほどまで惚れ込むって・・・?

最初に出会った『榎本武揚』は?
安部公房「榎本武揚」の榎本さん。もともと土方さん好きなので、実は最初あまり良くないイメージでした。

特別な思い入れのある『榎本武揚』に関する物は?
佐々木譲「武揚伝」、加茂儀一「榎本武揚」、ビデオ(DVD)「五稜郭」
以上、榎本さんを好きになる3点セット。

『榎本武揚』についてどう思いますか?
波瀾万丈の人生を送った人。行動力があり、皆に「ついて行こう」と思わせるだけの大きな器を持った人で、敵将にも「助けたい」と思わせる、人を惹きつける魅力を持った人。もっと評価されていい人物だと思います。

『榎本武揚』の良い所は?

とにかく、勤勉。研究熱心。家族思いで情に厚い。和魂洋才。西洋の知識や技術に詳しいのに、ちゃんとサムライの心も持っているところ。

『榎本武揚』の悪い所は?
口。江戸っ子特有の口の悪さ。 助命嘆願に奔走してもらってるというのに、家族宛の手紙で福沢諭吉の事もケチョンケチョンに言ってます。(^^; そんなだから「痩我慢の説」で糾弾されるんだよ~~~。

『榎本武揚』に一言
「江戸っ子だねぇ」

『榎本武揚』というお題を出された事についてどう思われますか?
「榎本武揚」がお題になることがすごい!大河ドラマの影響でしょうか。

最後にバトンを渡したい5人とそれぞれのお題は?
あんまり訪れてくれる方がいないブログなんで・・・。
畏れ多いけど、やっぱり「土方さん」とか?

ありがとうございました。

黒榎

ブラックな榎本さんの事ではありません。念のため。

井黒弥太郎氏の「榎本武揚」を読み始めました。
この方、もともと黒田清隆の研究をされていた方のようですが、黒田を語るには榎本の存在は欠かせない、という事で榎本武揚についても調べて書にされたそうです。

いや~、独特の語り口調で面白いです。この方にかかれば伊藤博文は「テロリスト」、黒田は「ゲリラ」扱いです。黒田と榎本を略して「黒榎」って書いてます。この略し方は…。なんか腐女子っぽいです(^^;釜次郎を「釜」って略してますし。いや、「カマ」っていうのは私も言いますけどね、親しみを込めて。

榎本さんの事を調べはじめると、いろんな事に興味を持ってしまいます。長崎海軍伝習所とか、オランダ留学生の事とか。黒田清隆にもちょっと興味が湧いて来ました。
黒田清隆はご存知、箱館戦争の時の官軍の陸軍参謀で、五稜郭の攻撃前に榎本が「灰にするのは惜しい書だから」と海律全書を送ったのに感激し、「男として惚れ申した」と戦後、頭を丸めて榎本の助命を嘆願し、西郷を説得したという人。
維新後、北海道の開拓使として榎本らを起用して北海道の開拓事業に従事します。「二君に仕える」ことよしとせず、新政府への出仕を渋っていた榎本さんを熱心に説得し、榎本も命の恩人の頼みを断れずに出仕する事になります。
またロシア千島・樺太交換条約を締結する際に、榎本を全権公使に推薦したりと、とにかく、戦後の榎本の人生は黒田なしには語れません。

黒田は後、二代目の内閣総理大臣になるのですが、酒癖が悪く、酔って妻を斬殺したという疑惑があり、条約改正の失敗や官地払い下げの醜聞などで、後年はけっこう孤立していたようです。
そんな中で、昨日の敵は今日の友。黒田と榎本は親交を深め、榎本の長男は黒田の令嬢と結婚し、二人は姻戚になります。
黒田が亡くなった時の葬儀委員長は、榎本さんだったそうです。

2人の関係って、なんかすごいドラマチックですよね。

榎本さん本

佐々木譲さんの新刊が、Amazonで予約開始されました。

 『幕臣たちと技術立国』 集英社新書   714円

   5月17日発売です。

鯉のぼり

5月ですね。最近は、大きな鯉のぼりを揚げている家も少なくなりました。
通勤途中に1軒、大きな鯉のぼりが揚がっているお家があります。大きいお父さん鯉、赤いお母さん鯉、子供の鯉、そして吹流し・・・。

  「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し 口先ばかりで腸はなし」

榎本さんはチャキチャキの江戸っ子。榎本さんといえば「べらんめぇ」という言葉が思い出されます。
オランダ留学の際、留学生一行が乗っていた船が嵐に遭って座礁。船長に逃げられ、ようやく通りかかった船に助けを求めると、それは海賊船。反対に白刃を抜き、海賊を脅して島まで連れて行かせたのはいいが、そこは無人島。ようやく小舟を見つけて救援を頼むと、翌日、現地人の酋長という人が船を引き連れて助けに来てくれて、九死に一生を得たそうです。

バタビヤに到着し、ホテルに宿泊すると、パイナップルやマンゴーなどの珍しい果物や料理がたくさん出たので、食べ過ぎて下痢をおこし、便所通いをするハメに。それを二階で見ていたオランダ人女性が腹を抱えて笑ったのに憤慨し、「べらんめぇ! 人が腹が下って便所に来るのが何がおかしい!」と怒鳴ったそうです。オランダ人女性はびっくりして、二度と覗かなかったらしいのですが、その後ホテル内で「べらんめぇ」とはどういう意味か、と話題になったそうです。

それにしても、いろんな経験してるなぁ、エノ・・・。

ホリエモン→エノ

「堀江被告保釈」というニュースを見て、今、頭ン中がエノでいっぱいの私は、ついつい榎本さんの入牢時代の話を思い出しました。堀江被告は拘置所の独居房で「白い巨塔」などの本を差し入れしてもらって、読んでいたそうです。榎本さんは獄中時代、よく化学書の差し入れをしてもらっていたそうですが、福沢諭吉に差し入れしてもらった本は自分には大した本ではなかったらしく、不満を漏らしています。・・・後年「痩我慢の説」で糾弾されたのは、これが原因だったりして(^^;

榎本さんが牢に入ったとき、博徒の親分という人物に「お前はどんな罪を犯して牢に入れられたのか」と尋ねられたので、「俺は榎本和泉守である」と言ったところ、たちまちみな平伏して、榎本さんの肩をもんだり、腰をもんだり、食事の世話をしたりして家来のようになり、牢名主然として過ごしたそうです。
榎本さんは、謡曲、端唄、都都逸などの芸達者だったそうですが、実は獄中で芸達者なこの博徒の親分に習ったそうで、この博徒は榎本さんが大臣になってからも、金の無心に来て、榎本さんも面倒を見てあげたそうです。(ドキュメント榎本武揚より)
獄中でも出世してからも、気取らない榎本さんらしさがうかがえます。

「幕末二万マイル」読了。この小説の中で、榎本さんは「獄中で教えてもらった」と言って錠前破りをやってます(^-^) 感想はまた後日。

前のページ HOME 次のページ

カレンダー

04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

最新コメント

[01/06 香音里]
[01/06 神田川]
[01/04 香音里]
[01/04 ゆらり]
[12/08 香音里]
[12/03 ゆらり]

茶々丸

最新トラックバック

ブログ内検索

プロフィール

HN:
香音里
性別:
女性
自己紹介:
趣味は観劇。特にミュージカル、三谷幸喜作品、キャラメルボックス、加藤健一事務所が好きです。

幕末の時代に興味があります。好きな人物は土方歳三、榎本武揚ほか、蝦夷メンバー。

What time is it now?

フリーエリア

忍者ブログ [PR]
Template by repe